今田耕司の学歴【気弱】地獄の高校時代、中学の時の夢など学生時代エピソード

今田耕司の学歴 お笑い芸人
高校生時代は、浜田雅功の後輩だ。浜田雅功の卒業したあとに入学した。地獄が始まった。
素手トイレ掃除、40度以上の高熱でも病院に連れて行ってもらえないなど、日生学園は地獄だった。
校長先生の話を聞いているとき、目をそらすと、校長が指をさした。先生が生徒を外に連れ出して、恐ろしい目にあわせていた。
今田ら、日生学園の生徒にとって、甘いものは貴重品だった。どうしても食べたいが、身体検査をされるので、自分では持ち込めなかった。親に手紙で伝えて、ミルキーのイチゴミルクを枕に仕込んでもらった。無事届いたので、日頃お世話になっている先輩に「無事、イチゴミルクを持ち込むことに成功しました」と配った。
月1回の面会日があり、親と会う。親と一緒にいる自由時間があったので、ケーキを差し入れてもらった。もちろん持って帰れないので、山の中で、手づかみで食って戻った。
就寝後、先輩にトイレに呼んでいただいて、ご指導を頂いた。腹へのおもい蹴りなど、種類は多かった。
追い込まれた今田は、秋、脱走を決意した。
問題があった。山奥なので、電車に乗って帰らないといけない。脱走だから、親に言うわけにもいかない。身体検査をどうするか、考えた。
今田は、玉の裏に、紙幣を小さくたたんで持ち込んだ。
脱走は失敗してはならないので、下見もおこなった。
決行の日、1階のトイレから出て、山を下った。
有名な学校だったので、最寄りの駅には、車掌が通報要員になっていた。今田はそれをしっていたので、山を二つ越えて、野宿をして、ようやく電車に乗った。
実家に帰ってから、「辞める手続きが必要なので、1度学校に来てください」と連絡が来た。
今田は校舎に戻ることが不安だった。しかし親も一緒だったし、これが最後だな、やっと辞められると思いながら学校に行った。
母親と一緒に学校に向かうと、そこにはすごく目をかけてくれた先生がいた。先生は言った。「学校続けるって言うまで、お母さん、今から僕はこの子を殴ります」6発目、今田は「続けます」と言った。
しばらくまた、学園生活が始まった。そして冬、帰省をきっかけに、退学した。
その後、今田はふさぎ込んで、親の説得で定時制の高校に行った。おっさんおばさんが多い学校で不思議な空間だった。
まったく女にモテなかった。
初キッスは、バイトの同僚の女だった。店長ともキスしていたらしく、おっさんの味がした
初体験は、やりかたがわからなかった。流れに身をまかせようと思った今田は、入れている間にオシ○コした。
初めて実家近所のホテルを使ったとき、フロントの婆が、大きくなったねーと言った
美容師を目指した今田は、薬液負けしてしまう敏感肌によって、諦めた。