オードリー若林正恭の学歴、学生時代
学校名 | 偏差値 | |
---|---|---|
小学校 | 中央区立明石小学校 | |
中学校 | 日本大学第二中学校 | 61 |
高校 | 日本大学第二高校 | 67 |
大学 | 東洋大学 | 45 |
【学生時代エピソード】
幼稚園時代、夢はバスの運転手だった。
幼稚園時代、夢はバスの運転手だった。
4歳のとき、朝から夕方まで自転車に乗る練習をして、乗れるようになったことを母親に見せた。
「まだフラフラしてるじゃない」と母親が言ったので、ブチ切れた若林は自転車を投げ捨てて、家に入った。このときのことは、未だに腹が立っている
幼稚園の運動会の玉入れは、客席に向かって玉を投げた。
まつりで「町の金太郎」に選ばれた若林は、みこしにまえかけ1枚で乗せられて、町を1周した。
小学生時代、夢は騎手だった。電車の中で競馬新聞を読み漁った。
ミニ四駆が凄く速い小学生として、パオパオチャンネルに出演。「うちの弟がテレビに出る」姉が同級生に話した。後日、4秒しか出てねえじゃねえかと、姉が泣かされて帰ってきた。
人の少ない小学校で育った若林は、悪いヤツをみたことがなかった。人の多い中学校で、歩きざまに植木鉢をけって割っていく本当の悪を見て怖くなり、暗い性格になった。
男子校に入れた理由がある。ズッコンバッコン、ズコンバッコン♪とリズムを刻みながら下校してくるものだから、女のことばっかり考えているなと思われた。おっぱ◯ぼよよん、ち◯びドッカン♪がトドメとなった。
父親が8回転職し、失業中は、ウィンナー+ご飯、豆腐+ご飯を何度も繰り返した。
父親が家にいないとおかずが増えた。
親父がいつも家にいた違和感の理由は、大人になってから気がついた。
不味いおかずをたべないとこまるので、父親がふりかけ禁止令が発行した。給食で出たふりかけの味は、眉間が爆発するほどうまく、今でも覚えている。
8回の転職はほとんどクビで、営業車で昼寝するなど、サボりぐせが原因だった
運動神経がよく、少年野球チームの中央区選抜に選ばれた。
拾った亀を育てて友情が芽生えたという作文で賞をとった。、新聞社が取材に来た際、全部うそっぱちだったので、慌てて亀を飼った。
中学、高校と、春日と同級生だった。
中学3年生のとき、小学生から好きだった女と付き合った。
高校時代、イケてないグループの春日には、童貞でないと言いはり、イケてるグループには正直に言っていた。
9等身のイケメンの友達が、よくケンカをした。それをすみっこのほうで見ていたのが若林だった。
イケメンの友達は、よく喧嘩相手の鼻を折った。ラグビーでけが人に慣れていた若林が、喧嘩相手の介護をするのが定番だった。
中学のラグビー部がつらすぎたので、高校アメフト部で先輩からの罰(グラウンド15周追加)を、しごきだと思わなかった。
中学ラグビー部は、パンツを履くのは禁止だった。
部活の挨拶が、「オ~↑ゎ」だった。「おーわ」「うーわ」ではない。「オ~↑ゎ」である。
顧問が来ると、「オ~↑ゎ」「オ~↑ゎ」「オ~↑ゎ」と、セイウチの巣と化す。
「オ~↑ゎ」の挨拶のおかしさに若林はニヤニヤしていたが、はじめは何も言われなかった。入部が決まり、5月1日に入った途端、「おめニヤニヤしてんなよ」と締められた。
背が低かった若林は、人より多く飯を食わされた。皆が腕を組んで周りを取り囲んだ。若林は泣きべそかきながら、食べた。口が止まると、顎を掴まれてガシガシ咀嚼させられた。
部活の合宿では味のついた飲み物は禁止だった。内緒で飲もうとする高校の先輩が、若林を呼び出し、自販機音を隠蔽するために、「デカイ咳してろ」と命令を下した。
部活後、風呂に入るラグビー部には、氷ひょろひょろというイベントがあった。
先輩が湯船に入っている傍らで、氷を投入していくと、氷が肌にあたってひょろひょろし、熱さと冷たさで気持ちいいという中身だった。
風呂に入る順番が、高3から下がっていき、最後に中1なので、中1の若林が風呂にはいる頃には、氷風呂になっており、湯船を使えなかった。
テレビの熱湯風呂企画を見ると、傍らに氷が積んであるのを見て、今でも「氷ひょろひょろ」を思い出す
中学時代のあだ名がジャリだった。試合中に「ジャリジャリ!」と声がすると「ひだりひだり!」と聞こえるので、「え?」「ひだりじゃない!ジャリ」「え?」「ジャリジャリ!」というやりとりが何度もあった
中学時代のラグビー部は、スター選手に囲まれてのプレーを強いられた。一般プレイヤーの若林が余計なことをすると、顧問がすぐ怒るのが当たり前だった。それほど脇役を徹底させられていた。(ボールを持ったらすぐパスをしなければならず、走ろうものなら、おまえがなんで走るんだ!と怒鳴ってくる)
ラグビー部のスター選手たちは、年上の女子高生と付き合ったりと、若林から見てもかっこいい男だと思った。
なので、高校時代のアメフト部に入ってからは、春日などダサいやつしか居ないなと、凄い安心して楽しんでいた。もちろん、ボールをもって走っても何も言われない。
春日の6年間皆勤賞を阻止するため、若林が「春日を遅刻させる会」を結成し、クラスメイトと共に、登校した春日にタックルしに行き、皆でへばりついていた。
春日の後ろの席になったとき、春日の頭がデカく、真面目だった若林にとって邪魔だったので、前の席になった春日の髪を毎日ちょっとずつ切って対応した。
お笑いをやりたかった若林は、友人の中から、面白い順に声をかけていって、春日と結ばれた。春日は8番目(11人中)。
大学時代、女が苦手だった。
1度、前の席の女が話しかけてきて、パニックになった若林は私物を置いて帰ったことがある。
それでも女に飢えていたので、大学時代、国分寺のロータリーをクルマでまわって、延々ナンパしていた。もちろん話しかけるのは友人の役目だった。